






トーキーがこの世に現れて100年以上が経ち、以来これまでにあらゆる国で無数の映画作品が製作され公開されてきた。
時代と共に自由な表現が市民権を獲得し、まさしく映画は文化を映す「証人」の立場を確立し、その時代の価値観・苦悩・思想・主張を代弁してきた。
戦後の世界が安定の兆しを感じ始め、大多数の庶民が文化を謳歌しようという空気が醸成し始めた50年代以降、それが音楽であったり芸術であったり分野を問わず様々な世界がそれに応えるために(金儲けの手段)
切磋琢磨を始める。図らずも需要と供給のまさしく相関関係が文化を進化させることになる。
その中での「映画」の存在は圧倒的に大きく、スターを介してアピールしようとファッション界や産業界などが資金提供を引き受け莫大な見返りを狙うという近代のショービズスタイルへと変化していった流れは
ご承知の通りだ。
かく言う私は昭和30年の生まれだが、やはり忘れられないのが60年から70年のおよそ20年の多感な時代だ。
62年にイギリスから冷戦時代を背景にしたいわゆる「スパイもの」の代表として「007」ジェームス・ボンドが突然登場する。ヒットを見込んでか既に続編が製作されていて同年代中に何と6作品が公開された。
その人気にあやかろうと様々なスパイものテレビ番組が最盛期の時代だった。更には60年代といえばヒッピームーヴメントの流れに乗って創られた数多くの映画では麻薬やセックス、人種差別や反戦などのあらゆるテーマを扱い、少なくとも問題提起の手段として「映画」がその役割の一部を担ったことも事実である。
また、SF映画というジャンルが成熟し金字塔として今だに語り継がれる「2001年宇宙の旅」も68年に公開された。
70年代に入ると「アメリカン・ニュー・シネマ」のコピーのもと、歴史に残る名作・秀作が多く制作された。その中の1つのカテゴリーだった「スーパー・バイオレンス」の代表格がクリント・イーストウッドの「ダーティハリー」シリーズだ。当時まだ人気が少なからず残っていた
西部劇では「ワイルドバンチ」や「明日に向かって撃て」などもその一翼を担った。後に巨大なコマーシャル作品になった「スターウォーズ」もこの時期からスタートした。

この様に兎にも角にもたくさんの面白い映画を楽しめる時代になったわけだが、ここに触れておくべきテーマが映画監督の存在である。
数多いる映画ファンにとっての気になる存在がスター俳優であろうことは容易に理解できるが、コアなファンには必ずご贔屓の監督がいるはずだ。「巨匠」という表現はあまりにも曖昧で、むしろ「天才」か「鬼才」かに分けてしまう方がわかりやすいのではあるまいか。
「天才」というならばやはりスタンリー・キューブリックを挙げたい。モダンブラックコメディーの白黒映画「博士の異常な愛情」はピーター・セラーズ扮するストレンジラブ博士、無能な政府上層部とアメリカ軍の暴走(トランプ2.0の今では手放しに笑ってはいられないが)をコミカルに描いていた。
前述の「2001年宇宙の旅」で押しも押されぬビッグネームとなった彼は70年に入ってすぐに「時計じかけのオレンジ」を公開。近未来を舞台にしてはいるが訴えるテーマは無軌道なセックスや無秩序な暴力といった当時の現実的懸念である。劇中で表現される「ウルトラバイオレンス」はすなわちその当時の「スーパーバイオレンス」を意識したネーミングとして面白い。
キューブリックは80年公開の「シャイニング」で当時のベストセラー作家ステーヴン・キングのホラーを映像化した。アカデミーの主演男優賞を獲って人気上昇中だったジャック・ニコルソンを起用。カナダの山奥の真冬雪に閉ざされたホテルの管理を任された親子が主役のモダンミステリーホラーだ。徐々に狂人へと変化していくニコルソンの演技も不気味だが、美しいホテル内部の長い廊下を三輪車で駆け回る息子が遭遇する時空を超えた過去の秘密や憑き物が誘うバーでのシーンなど、映像が放つ魔力をところどころで感じられる。
前作の壮大な歴史劇ヒューマン作品「バリーリンドン」との対比が大き過ぎて戸惑った覚えがある。




