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​ 世界的に有名な監督は数々存在するものの、多くは時代ごとに

評価された言うなれば「時」の監督であり、「レジェンド」としての存在は極々一部に限られる。その中にありサイレント映画時代から製作に携わっていたビッグネーム「ヒッチコック」の名前は現世代の多くにも知れ渡っているものと思う。近代の代表作として常に取り上げられる「サイコ」は、あらゆる点で画期的な恐怖映画として既にレジェンドの地位を得て久しい。この作品の中で表現された映像と音響の織りなす極限の恐怖空間は、後のホラー映画のベーシックとなる。

 ヒッチコック作品の多くは監督のポリシーとも言われたカメラのマジックに依るところが大きい。ワンカットシーンの多用、更にはカメラの角度や高低を駆使したユニークな構図。全てが綿密に計算されていたとも言われているが、実のところすべては監督

自身のセンスであり、その評価は後付けの様に思える。裏を返せばそれこそが「鬼才」と呼ばれる所以であろう。

 同様に彼から20年あまり後に生誕したイタリアの鬼才、「フェデリコ・フェリー二」もレジェンドの一人として君臨する。「映像の魔術師」と呼ばれる存在は何人かいるものの、真にそれを体現せしめる監督は彼をおいて無いだろう。

 初期の名作「道」では、実生活の妻でもあったジュリエット・マッシーナを起用して、どれほど野卑な人間であろうとその根底に存在すると信ずる「愛」を見事に映像化して魅せてくれた。

 この時に撮影に使った巨大なスタジオ「チネチッタ」は、大戦時下の悪名高きムッソリーニ政権下で建設された撮影施設で、フェリー二にとってはその後の名作を製作する上で深い関わりを持つ様になる。

 60年代に入り、「甘い生活」「8 1/2」といった退廃的なローマをテーマにした問題作を立て続けに発表。それらの作品で表現

された映像と内容は賛否渦巻く評価を得る。

 以降の彼の作品は、まるで夢を見ていたかの様な映像美と芸術的空間美、更には巨体女や不道徳を無理やり見せつける有無を言わせぬある種のナルシシズムを発動する。

​ これは同時に、巨乳や夢想的表現に象徴される「マザコン」を証明していると結論付けたい。

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​ その同類として南米はチリ出身のこれまた「鬼才」というよりも「奇才」という方がしっくりきそうなアレハンドロ・ホドロフスキーが居る。90歳を過ぎて尚活力旺盛な監督で、前述の70年代に公開された「エル・ポト」の衝撃は半端なく、今ではカルト映画の代表とされている。彼が80歳を過ぎてからまさしく自叙伝

​として製作した「リアリティのダンス」も「鬼才」こそが醸し出す独特な空間を体感できる。

 彼が少年時代の話であり、実の母が巨乳でオペラ歌手を夢見ていたという事実からその母親役を体当たり演技していた本物のプリマドンナのパメラ・フローレスが印象的だ。彼女のみがセリフを全てオペラとして歌う。また、その巨乳を臆面なく露出したり

ペストに罹った旦那を聖水で清めようと放尿まで披露してみせる。芸術作品として認められている為か、我が国でも無修正版が

販売されてそれを見た時の驚きは忘れられない。

​ 続編としてその3年後に製作・公開された「エンドレス・ポエトリー」は彼の青年時代を描く。前作から一貫した体勢批判と父親に対する拒絶がテーマとして根底を流れている。彼ホドロフスキーはあらゆるものに「愛」を見出そうとする。その対象がいかに惨めなものであろうとも一貫してそれを求める。映画には腕や脚を失った不具者たちが起用されたり、サーカス的な小人や道化師も登場。一映画ファンとしての自分には、彼には何かしらフェリー二と共有している「モノ」が有る様に思えて仕方ない。映像から伝播するリビドーなのか目を背けることが不徳なのだと説いているのか、「鬼才」たちが訴えかける真実に洗礼を受けた気持ちになる。

​ 同じ「鬼才」の中にはこれまでの3人とは毛色の違った存在もある。北欧スウェーデン出身の「ロイ・アンダーソン」がその人だ。1970年に公開された「純愛日記」を高校生の時に観た。若い恋人同士の恋愛物語ではあるが、実は親族内の人間模様をその時代の物差しで炙り出し大人の世界と夢見る若者の世界を対比させることで「愛」を訴えるという深遠なテーマの秀作。まだこの時期には映像へのこだわりは殆ど見られず、ストーリーや演出に軸足をおいた作品だった。

 自国ではそれなりの成功を収め、その後に製作した作品が失敗に終わり失意のまま25年ものブランクを味わう。世紀が新しくなった2000年にしばらく振りの「散歩する惑星」を公開してカンヌで賞を獲得。「ジャック・タチとキューブリックがストックホルムにやって来た」というキャッチフレーズが飛び交う話題作となった。続くブラックユーモア作品「愛おしき隣人」も高評価を受け、彼は北欧の巨匠として存在感を示す。ブランクの25年間に何があったのかわからないが、これらの作品に共通する独特の映像美にはどうしても惹かれてしまう。その後の「さよなら人類」と「ホモ・サピエンスの涙」ではその美意識が更なる進化を遂げ、どのシーンもポスターになりそうな美しさを見せつける。

​ 「映像の魔術師」と評価される監督のこだわりが作り出す映像空間を是非一度観るべきだと薦めたい。

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