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若気の至り
クラブ仲間とアメリカへ


元々が映画好きの仲間たちと1984年、ポルノ映画を研究するために「X-Rated Club」という愛好会を立ち上げる。
そもそも洋画は70年代終盤に面白い作品が極端に少なくなった時期があり、オールナイトで時々ポルノ作品と一般洋画の抱き合わせ上映をする映画館が増えた。当時は逆にポルノ映画の方が勢い良く、人気女優や監督が次々に登場した。そんな状況の中で知ったストーリー性のあるポルノ作品に出会して興味を覚えた仲間たちが集まったという次第だ。クラブは本部を神奈川の大和市に置き、定期的に今で言うところのオフ会を開く。
当時、長い歴史を誇る「スクリーン」と言う映画専門誌があり、それを発行している新橋の「近代映画社」というところからB級映画やポルノ映画を専門に扱う「別冊スクリーン」も毎月同時発行されていた。コアな仲間たちなればこそ、その雑誌に投稿するメンバーが私を含めて3〜4人居た。
中にはアダルトマガジンの編集をしている者がおり、近代映画社の「別冊・・・」の編集長ともコネを持っていた関係から我われもパートタイムのライターになる事が出来た。
そんな中、私がとても気に入った作品「TABOO」(邦題:タブーセックス恥辱)の主演女優ケイ・パーカーと手紙のやり取りが始まり、
愛好会の事や熱烈なファンレターのアピールもあってアメリカに来れば会ってくれるとの夢のような状況になった。
その話を「近代映画社」の編集長に持ち込むと、雑誌用のインタビューと帰国後に原稿を書くことを条件に資金の一部援助を取り付けられた。あれこれと調整をしつつ、最終的に都合がつけられた3人で1986年の夏に渡米を実行した。











ハワイ経由のシンガポール航空便で約11時間かけてLAXに到着。初めてでまったく分からず空港からタクシーの運ちゃんにホテルを紹介してもらう。空港近くのSKYWAYSというモーテルに滞在。そこのオーナーがアジア出身でたちまちブラザーとなる。そこを拠点にレンタカーを借りてあちこちを走り回る。ケイ・パーカーとの待ち合わせ場所は彼女の住んでいるサンタモニカの海岸沿いのカフェ。その前日の朝早くに自分一人でその場所まで確認に行って来る。早朝なのでフリーウエイは空いていてモーテルに戻ると二人がびっくりしていた。
いよいよインタビューの日、時間の余裕を十分に見て早めに出発。約束の時間までの間、オーシャン・ブールバードを散策する。と、何とモハメッド・アリが散歩していたのに出会し握手できた。デカい手だったのを覚えている。打ち合わせていた10時に「Cafe Casino」で彼女に対面。夢のようだった。その後、カメラ撮影の承諾をもらいインタビューを開始。約2時間もの間一緒に軽食を摂りながら楽しい夢のひと時を味わった。
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